実際は
なんでもかんでも誰にでも話せることばかりではありません。
話したいけれど、話さないでいることが面倒を避けられるということもあります。
外国では【書くこと】がセラピーとして確立していますが、
日本ではまだまだなじみが薄いのが現状です。
そこで、【書くこと】で心が救われる経験をした人たちのうち何人かは
カルチャーセンターなどの文章講座に参加するのですが、
赤を入れて直され、否定的なコメントを書かれ…
結局、講座に来なくなります。
【書くこと】そのものを否定された気持ちになって、
書くのをやめてしまうからです。
望んでいたのは、
文章を書くことで心が救われること。
自分の書いた文章をただ黙って聞く人の存在。
この2つなのです。
ブログやソーシャルメディアで書くことも
人によっては同じはずです。
【書くこと】で心を落ち着かせ、
腹の立つこと、やりきれない悲しみ、許せない誰かへの思いを昇華させ、
自分が救われたい。
【書くこと】で救われた自分の話を聞いてほしい。
ただ、それだけなのだと思います。
批判的なコメントや
インターネット上に【書くこと】そのものを否定するような投稿を見かけると、
救われたいだけの書き手が安心して書ける場は
インターネット上に存在しえないのかしら?
と、正直悲しい気持ちになります。
それと同時に、文字のひとつひとつにこめられた念のようなもの、
言霊とでも言いましょうか?
感じるものがあって、あわてて画面を閉じるのです。
![a暴君ハバネロ](http://bandomegumi.com/wp-content/uploads/2015/04/a暴君ハバネロ.jpg)
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