架空の話を書こうとするとき、
頭のなかに映しだされたスクリーンで見えているものを、
いつも追いかけている気がする。
視覚だけではない。
登場人物が手にしているものの感触とか。
背後で流れているBGMとか。
感じているものすべてを過不足なく文章にできて、
ようやくほっとする。
完成した文章が読んでくれた誰かを励ます。
書いた話に多くの人が「あるある」と、うなずいてくれる。
そんな風に
誰かの心に少しでも響いていくれたら、うれしいと思えるのだけれど。
どういう文章なら心に響くのか、絶対的な正解を持っているわけではない。
読んでくれた人との気持ちのつながり。
自分に関係のある文章だと思ってもらうこと。
「自分の気持ちをいちばんわかってくれる作家だ」
と、伝わることが重要なのかと。
誰でも行動するときには意味がある。
どんな自分になりたいのか、
誰に会いたいのか、
周囲の評価は?
ちょっと先の未来は?
裏にはたくさんの考えと感情が隠されている。
架空の話を書くことで、登場人物を通して
あらゆる自分と向き合い、想像している。
ふだんの生活では、意識しながら行動することは少ないけれど。
誰かになりきりながら文章を書くとき、
その誰かさんの気持ちは私の知っている感情。
同じ感情を知っていることはすばらしいこと。
私にとって架空の話を書くことはは趣味ではない。
趣味以上に豊かさを受け取れるもの。
そんな自分の考えや感情を確認しながら、創作を再開する。
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