誰だって話を聞いてほしい。けれど…

実際は

なんでもかんでも誰にでも話せることばかりではありません。

話したいけれど、話さないでいることが面倒を避けられるということもあります。

外国では【書くこと】がセラピーとして確立していますが、

日本ではまだまだなじみが薄いのが現状です。

そこで、【書くこと】で心が救われる経験をした人たちのうち何人かは

カルチャーセンターなどの文章講座に参加するのですが、

赤を入れて直され、否定的なコメントを書かれ…

結局、講座に来なくなります。

【書くこと】そのものを否定された気持ちになって、

書くのをやめてしまうからです。

望んでいたのは、

文章を書くことで心が救われること。

自分の書いた文章をただ黙って聞く人の存在。

この2つなのです。

ブログやソーシャルメディアで書くことも

人によっては同じはずです。

【書くこと】で心を落ち着かせ、

腹の立つこと、やりきれない悲しみ、許せない誰かへの思いを昇華させ、

自分が救われたい。

【書くこと】で救われた自分の話を聞いてほしい。

ただ、それだけなのだと思います。

批判的なコメントや

インターネット上に【書くこと】そのものを否定するような投稿を見かけると、

救われたいだけの書き手が安心して書ける場は

インターネット上に存在しえないのかしら?

と、正直悲しい気持ちになります。

それと同時に、文字のひとつひとつにこめられた念のようなもの、

言霊とでも言いましょうか?

感じるものがあって、あわてて画面を閉じるのです。

a暴君ハバネロ

合わせて読みたい記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です