書くことを習う必要はあるのか。

外国では創作の授業を受けられる学校が普通にあり、

地域でも自分の書いたものを気軽に発表しあうサークルが存在している。

でも、日本の学校では作文や小論文の授業はあっても、

【書くこと】を身近に楽しめるような場が少ないような気が。

創作は人から教わるものじゃないという考え方もわからないではないけれど、

文章を書いて、発表する場。

実際に、自分の文章を読んでくれる人が身近にいる環境を用意できるのは

学校や講座、サークルなどになっているのも現状だ。

身近に読んでくれる人がいないと、

書いている人の気持ちはどこか宙ぶらりんになってしまう。

日本中、世界中探せば、ひとりくらいはどこかに読者がいるだろうとわかっていても、

読まれない文章を書き続けるのはあまり楽しいことではない

(ネットが普及して本当に良かったと思う)。

一方で、学校や講座、サークルなどに参加して書くということが

【書くこと】を大げさにしてしまっているという気もしないではない。

これらの場に参加するということは

作品を完成させるという目標をなしとげなくてはならない、

高いと感じられるハードルが待っている

(実際、この手の場所には自分の書いたものは持参しないで、
 人の作品発表と先生の講評だけ聞いている人も少なからず存在するのだけれど)。

自分の書いたものをある程度まとめて

それなりの人数や先生に見せるということをしなくても、

よく道ですれちがう近所のおばあちゃんや行きつけのお店のレジの人とか

限られた誰かのためにちょっとした文章(手紙でもいい)を書くくらいの気持ちの方が

誰もが気楽に文章を書けるように思うのだ。

 
そして、誰もが気楽に文章を書いて、誰かに見せることが当たり前になれば

「このあいだの誰々の文章、おもしろかったね」なんて言い合えるようになれば、

書くことがもっと身近になりそう

とも思う。

私自身、ライタースクールを筆頭に

大学の文芸学科や大学で一般向けに開かれている文章講座に通ってきたけれど、

役に立ったのは

毎日書くという習慣が身についたことと

文章を書くことを特別視されない環境にいられること、身を置けたこと。

たとえば、児童館や子育て支援センターで見知ったくらいの関係のママに

「文章を書いています」なんて言おうものなら、確実にその場の空気が変わります。

仕事は何をしているかと聞かれたら、まちがいなくWEB関係と答えます。

そのくらい【書くこと】がふつうではないと見なされることに

多少なりとも息苦しさを感じている人、

同じように書いている人と文章を書くことへの思いを共有したいのならば

書くことを習いに行く意味はとても大きいと考えています。

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