思いを書く→聞く→気づく。

水曜日に呼吸法のクラスに行ってきました。
9月から通い始めた呼吸法も、もう5回目。

何かに集中しているときに無意識に息を詰めてしまい

「呼吸してないよ」 

と、横で見ている人に言われたこと。

呼吸が浅く、
「しっかり息が吸えていない」と指摘されたこと。

一度や二度ではなかったので、
どこかのタイミングでクリアしなければいけない
課題のように思ってきました。

まだまだ息をゆっくり吸うのは難しい。

けれど、呼吸法をするたびに、
ひと息吐くたびに、

体も心も軽くなっていくのを実感しています。

呼吸法を通して自分と向き合う時間が増えたことで、
考え方が根本的に変わりました。

今、自分は何をしたいのか。

どうすれば自分が心地よいのか。

何かを決めるとき、
何かを選択するとき、
迷っているとき。

丁寧に自分の声を聞けるようになりました。

呼吸法のクラスでは
毎回、出されたテーマについて書き出し、
自分の考えを受講生にシェアする時間があります。

思いを書き出し、

思いをわかちあう。

私のいちばん好きな時間、好きな場です。

特に、今回のテーマはいろいろ考えさせられ、
時間いっぱいまで書いていました。

シェアの後、
他の方のシェアを聞いて思ったことを書き出す時間もありましたが、
いつもの倍以上、書き出しました。

他人から見たら何も問題ではなくOKなことでも、
自分ではOKを出せない。

OKを出せないから、
後ろめたい気持ちを抱えてしまう…。

OKを出せない気持ちの裏には

「こうあるべき」という

世間一般で常識とされていること
親からそう教えられてきたこと
モラルとされていること

本来の自分ではない基準があって
そこに自分を合わせようとするから

できない自分に
自分で厳しくして
自分で苦しくなってしまう…。

私も確かにそんなパターンを持っています。

そして、実家に両親と住んでいることもあって、
現在進行形で
両親の「こうあるべき」に悩まされています。

「こうあるべき」は自分にも優しくないけれど、
人に強要すると、もっと優しくない。

私はこの家族といることで
彼らの「こうあるべき」にずいぶん傷ついてきました。

子どもと接するときも、
せめて私だけは「こうあるべき」で
彼女を判断し決めつけることのないようにしたい。

そのために
私も
自分自身に対する「こうあるべき」を
意識してもっと手放していこう。

そんなことを思った1日でした。

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